お正月から、バーナーをしているのであった。
働き者?
いえいえ。
最近、一番やりたかったことだから。
お正月ですし、好きなことやりましょ。
↑もはや、仕事とは呼べない状態やん
と言っても、2~3時間でしたが。
その2~3時間。
試作だったのでロクなものはできなかったのですが。
その間に、変なことを考えていた。
こないだ書いたブログの、認知症の人の介護の方法で、「ユマニチュード」と言うのがあって、それが有効であると、人工知能を用いた分析で証明されたって、テレビで言ってた話を書いたのですが。
で、今やっているケアを画像で撮って、人工知能で分析すると、もっとこうしたほうが良いよと赤ペンを入れて返してくれるって話も。
その時、医療関係の人だけが、認知症の人の介護のスキルを上げるべきみたいに読める書き方をしてしまったなあと、思ったんです。
いやいや。
それを言うなら、家族だってそうです。
分かりにくいんですよ、大部分。
でも、時々、はっと気づく。
やっぱり、そこには、間違いなく自我がある。
石井洸さんは、人工知能が、そういったコミュニケーションの障壁になる物を乗り越えるためのツールになり得ると、そういう言い方をされていたと思う。
それはそうやな。
例えば、同じような発想で、赤ちゃんに対する接し方だったり。
犬猫に対してだったり。
分かることはあるけど、外していることも多い、そんなコミュニケーションを補足するためのツールに使えたら面白いかも知れないな。
ただ、それって、子育てに人工知能がくちばしを挟むと考えると、ウザいのか?
人工知能が「知能」だと思うとウザいかも知れない。
でも、メガネとか、双眼鏡とか、赤外線スコープとか、顕微鏡とか、望遠鏡とか、なんか、そういう「手段」だと思えば良い訳ですよ。
「知能」ではなく、「機能」なんですもん。
見落としがちな相手のわずかな反応だったり、それを見せられてもこっちには分からんわっていう、体温の変化や、脈拍の変化や、脳波の変化などを捉えて、分析して、相手が心地よいのか不快なのか、そういうザックリした感情や反応を、分かりやすい言い回しで教えてくれる。
赤外線スコープを付けて、真夜中の見知らぬ場所を歩いている。
道具は、景色を見せてくれる。
見た物をどう判断して、どう動くかの、決定はこっちがする。
そう思うと、人工知能による、「介護手法支援システム」便利ですね。
ついでに言うと、ウェアラブルな感じで、メガネ型だったりすると、もっと近未来的。
ああ、アホな想像を・・・・・・(^^;
くちばしを挟まれてウザいで思い出した。
知能ではない、思考力はない、感情も持たないものが、うざい瞬間。
それは・・・・・・
「スマアシⅡ」ってやつですね。
↑一昨年買ったダイハツのタントについている、危険を知らせてくれるシステムです
↑↑余程需要がなかったのか、価格が変わらないのに、オマケで付いて来ました
ウチの仕事場の近所に、メインの道にサブの道から合流するか所で。
いっつも「ピピッ!」って、教えてくれる。
「ピピっ!(ぶつかるよ)」
「うるさい!」
ぶつからないんですよ。
そういう道なんです。
目の前にある障害物は、君が教えてくれている瞬間に、私がハンドルを右に切っているので、避けられますのよ。
所詮、こんなもんです。
支援システム。
ここぞの時の判断は、結局、アシストシステムに何を言われようと、人間がするし、それが正しい。
知能ではなく、機能ですから。
でもなあ。
日本人って、特にそうらしいんだけど。
感情のない物を、擬人化してしまうクセ。
スマアシⅡ然り、おしゃべりするエアコン然り。
「設定温度を23℃に設定しました」
「はいはい、ご苦労様」
そんな私が・・・・・・
「知能」ではなく「機能」なんですよ、と言っても、説得力、薄いかも。(^^;
正月早々、何を阿呆な妄想にふけっているんだか。(^^;
バーナーやりながら・・・・・・