病院の往復生活の日々です。
母は、元気ですが、ご飯がまずいらしく、タンパク質源をあまり食べてくれません。
で、リハビリ目的のため、食べ物を持ち込んでいます。
今日は、コンビニのサンドイッチ。
血圧が高いと言われているのが、気にはなりますけどね。
父は、本当に、ほとんど食べてくれません。
先日、やはり、生徒さんに日々のことを聞いていただきましてね。
やはり、経験がものを言うというか。
その生徒さんも仰っていたけど。
介護というのは、すごく構えて「介護」というよりも、日常の中に自然とあるのが、理想だと思う。
なので、「介護が大変だ」って、生活そのものが、暗い顔になるのとは違うような気がする。
父と、へんちくりんな戦いをしながら、笑いもあったりするのだ。
介護に時間がかかることは、日常だと、考えたい部分だ。
でも、一方で、非日常だと思う。
いや、日常なのか。
ふと、泣けることがある。
ゆっくりと、戻れない道を、たどって行っている感じが、じわじわと迫ってくる。
二次救急の病院は、日常ではとても世話できないレベルで、あれこれと、至れり尽くせりしていただける。
驚きだと思う。
めっちゃ感謝しています。
ただ、介護施設と比べて、食に対しては、無頓着な気がする。
すみません。
ここで、ちょっと、愚痴が出てしまった。
痩せました。ずいぶん。
それも、本人の意思のような気がする。
そこを無理に食べさせる必要はあるのか?
それは思う。
何を食べるのか、そこを探るのに、一人にかけられる手間にも限界があることは分かる。
ワガママなんかなあ。
自分にできないことを、人に要求していることではある。
でもな……
筋肉が落ちています。
入院より前に、平衡感覚がなくなったので、歩けなくなり、車いす生活でした。
なので、太ももの筋肉が落ちても、車いす生活には戻れるとは思う。
ただ、これほど大きな筋肉が痩せると、風邪ひとつにでも、抵抗できなくなる。
病院では、リハビリが始まるのが早くなりました。
祖母が、19.5年前に、左大腿骨の骨折をしたとき、座るようにするのも、もっとゆっくりだった。
7年前に、右大たい骨を骨折した時には、手術から数日後には座らせていた。
そういう部分の考え方は、進んだんだなあと思う。
父の入院の際にも、母の入院の際にも、治療の方針と同時に、退院後どうするのか、そのために、どういう風にリハビリなどを入れて行くのかなども、計画が立てられる。
元の生活に戻れるのか、戻れないなら戻れないなりに、次のあり方がよりよくなるように探る。
リハビリに関しては、そういう意識を感じる。
だったら、もっと食に関しても、リハビリと同じくらいの重要度で考えてくれるような意識に変わって行ったら良いのにと思う。
もちろん、栄養士の方も嚥下のスタッフの方も、工夫してくださっているのは感じる。
限界があるのは分かる。
きっと、父の場合は、本人の意思ではあるんだろう。
そこは、じわっと感じる。
私が食べさせようとすると、おミカンなどでも、自分で食べてみせる。
きっと食べることが目的ではなくて、私に食べて見せるところが目的なんだろうと思う。
だから、どれほど食に対する意識が進んでも、父に関しては、結果は同じなのかもしれないと思う。
それでも、一日ごとに、食べないことで、筋肉が痩せ、体脂肪が落ちることを、本当は怖いと思っている。
この気持ちは、医療スタッフの方とは、少しだけ距離を感じる。
日々、すごく良くしてもらっていると思う。
あの手こずるというか、ほぼ不可能だった父の歯磨きを、こんなにきれいにしてくださるとは!
ありがたい部分も、驚きの部分も、とてもたくさんある。
一方で、食べないことへの恐怖みたいなものは、介護施設の方とは、とても近い気持ちでいられたような気がする。
無理に食べさせることはできないし、あきらめざるを得ない所はある。
でもでも、それがとてもとても残念、そういう風な、気持ちの部分は、きっと介護施設の方々との方が、近い気持ちでいられたと思う。
ああこれが。
いつだったか聞いた、医療と介護の違いっていうものなんだなって、思った。
父に確認すると、今の病院を退院する際に、転院が良いのか、元の介護施設が良いのか聞くと、元の介護施設が良いという。
というか、思ったほど介護抵抗がひどくないので、転院の可能性も考えている話を、本人の前でしてしまい、えらく機嫌が悪くなったので、元の施設がエエのん?って、確認すると、元の施設が良いと、力強く頷いた。
家から近いところに、ワンクッション置いて転院というのもいいのかなと思ったこともあったけど。
これほどはっきりと、元の介護施設が良いというんだね。
だったら、そうしよう。
熱がどのくらい落ち着いたら、元の施設の戻って良いのか、追々、相談しなくっちゃね。
いろいろ揺れながら、決めたことがある。
何ができるのかと言うと、大してできることはない。
ただ、本人が、あまり孤独を感じないように、努力しよう。
本人の意思は、ちゃんと尊重しよう。
物理的に長持ちさせる方向が、ベストという訳ではないんだろう。
そのために努力しようと、思うこのごろです。
まだ、こうして、意思の疎通が取れる。
それは、きっと幸せなことなんだと思うのです。