ハメられたっ!
思わず叫んだ私だった。
さっきのブログを書き終えて、やっぱり、あの鏡みたいな反射が気になったので、ノートに走り書きをした。
屈折とか反射とか、そういう世界は、結構古典的な光学で、なんとなく、絵で理解する。
ハードナッツの橋本愛ちゃんみたいに、数式は使わない。
リケジョくずれと言いつつも、理系としては、数式に弱い方なので、物事は、イメージ(画像)で、理解していて、もちろん、ノートの走り書きは、お絵かきだ。
何が分かったかというと、局面と屈折率とガラスの厚みと・・・・・という話ではない。
鏡のように反射して見えたのは、頭上のライトが強かったからだ。
そう。
この展示の企画を考えた人は、この頭上のライトを照らすことで、鏡みたいな反射が見えるボウルだということを、ちゃんと知っていて、見る人の目線の位置から、強い反射が見える位置に、頭上のライトを設置したということだ。
わ~、ハメられた!
作為的に、あの場所に、鏡のような反射を作って見せたんや。
ガラスは、強い光が当たると、色が変わっていくものがあったんじゃないかなあ。
なので、会場の他の物、古い、当時の物があまり残っていない貴重なものは、強い光では照らさない。
それなのに、あの場所は、他と違って、ものすごくライトが強かったんだ。
明かりは、頭上の一点だけではない。
会場全体を明るくする、間接的な明かりがある。
それによって、ボウルの全景が良く見える。
そこに加えて、上からの一点で、強い鏡のような反射を作る。
その2つの光が合成されたものを、私たちは見せられることになる。
あの不思議な感覚は、そのせいだったんだ。
あのボウルが、そういうボウルだったことは、偶然だったんだろうか?
近代の、新しい物なので、古典的な光学の理論で、こういう効果を、バカラは狙ったのかもしれない。
なぜなら、もっと時代が古いものと比べたら、ピラミッドが大きいから。
仕事のち密さを見せるなら、もっと小さいカットにした方が、どや細かいやろ!って見せられる。
何であそこに、強い反射ができるのか?
それって、屈折率による全反射が起こってるのか?
そこんとこは、知ってみたい気がする。
今後も、時々、ノートにお絵かきすることだろう。
ただ、今思い返すと、30分ほどで走ったあの時には見えてなかったものが、いっぱい見えてくる。
その一つが、作り手の、作為だ。
単に形の面白さや、仕事の確かさだけを、職人たちが作って来たのではないということだ。
私たちが知らずに見せられる、何か。
それは、ガラスの特性が生みだす、独特の効果を生かしてこそ見える、何か。
そういうものを、効果的に見せようとする、作り手の深い意図が、背後に見え隠れする。
後になってから、そういうものに気づく。
バカラのボウルも、プレスで作ったお皿も。
きっと、良く見たら、他の物にも、作り手の深い意図が見えてくるものが、もっとたくさんあるんじゃないかなあと思えてきた。
やっぱり、一流の人たちって、古い時代の人でも、あったま良い。
時間をかけて作られて、時間をかけて伝えられたものを、やっぱり、30分で走ってみてはダメかも。
もう一回、ゆっくり見たくなって来た。