母が、退院して、一か月近くが経とうとしています。
父が、転院してからは、2週間。
ストレスがピークでした。(^^;
介護が、差し迫った物になって、7が月くらい経ちますが・・・・・・
状況が目まぐるしく変化して、息を切らしながら、千切っては投げみたいな日々だなあと思います。
前の愛犬が死んでしまったとき、祖母の介護、そういう物を思い出して、介護って、「待ったなし」なのかもと、思ったからなんですけど。
一方で、ここを乗り切れば、状況が落ち着くのかもと、都度都度思っていたりしたところもあり。
乗り切れば、とはいえ。
一つ乗り切れば、次の状況がやって来て、ずっとドタバタしている気がしてきました。
市毛良枝さんが、13年だったか14年だったか、お母様の介護をされて、去年、100歳で見送られたとか。
その間、自分の時間を止めてしまっていたように思うと、おっしゃっていた。
そして、久しぶりの屋久島登山をされたという番組をたまたま見てたのですが。
自分の時間を止めてしまっていた、か。
そこまでは、やめておいた方が良いのかなあ、私の場合。
って、思った。
まだまだ、作品作りでいろいろやってみたい、そういう野心はまだあるもんね。
最初の入院から、6か月近く経って、母が退院。
入院前は、介護認定を獲ってなかったのに、今では、要介護4。
父は、一年前は、要介護2だったのに、去年の8月時点では、要介護5。
そういえば、去年の6月の末には、小樽に営業のため、出掛けたのでした。
そのくらい余裕のあった状態が、ホンマに遠い昔に思えますが、まだ、一年なんですよねえ。
去年の12月と、今年の2月、母が死んでしまうんじゃないかと、本気で思った。
今年の1月と3月には、父が死んでしまうんじゃないかと、本気で思った。
状況次第では、ホンマにそうなっていたかもしれない、それが高齢者だなあと思いますけど。
それにしても、小野病院から、母が退院し、引き続き、父が転院した時。
エレベーターの前のナースステーションにいらっしゃったフロアの看護師さん皆さんが、それぞれに立ちあがって、気づくと皆さん立ち上がって、父を送って下さり。
ちょくちょくというか、あまりに頻繁に出入りしていただけに、転院や退院でも、こんなに皆さんで送って下さっているシーンばかではなかったことを知っていただけに、予想外のことに、感動してしまった。
そこが一つのピークでしたね。
私頑張ったかも、って、思いました。
ただ、その先も、介護は続く。
現実はそうでした。(^^;
まだまだ、母の介護施設を利用しながらの家での介護を、どんなサイクルで回して落ち着くのかとか、手探りですし。
父の転院先では、前にがんばった意識で、最初から力が入り過ぎて、転院先でいきなりギクシャクしてしまう始末。
まさに、やり過ぎ注意。
自分のキャパを超えたところまで、無理をするのは、大人じゃない。
自分の限界をわきまえないと、頑張って壊れてしまうようでは、むしろカッコ悪いとは、思うんですよね。
気づくと、余裕のない状況を反映してか、生徒さんが、かなり減ってました。
というか、減ったなりに増えるのが、例年なのですが、ふく蔵さんでパワー不足だったせいか、新しく増えないという部分もあり。
ああ。
まあこれが、私の実力というか、現状なんだなあと、思った。
反省はするものの。
性懲りもなく、作品展を、受けてしまっていた。(^^;
仕事あんまり入れへんって、決めてたやん、ふく蔵さんの直前では。
のど元過ぎればで、学習能力がないらしく。
それはまあ、もちろん、頑張るしかない。
ちょっと反省して、見た目のイメチェンを図り、ちょっといろいろ、身の回りも、無理の無いように立て直そうと思う今日この頃です。
↑見た目からかい!(^^;
そうそう。
ちょっとね、自分のフトコロ具合からしたら、美容院で不相応な金額をかけてしまった先月だったので。
↑何か、いろんな反動でさ
↑↑ある意味、壊れ気味だったともいう(^^;
もうちょっと、分相応な、手堅い見た目に戻ろうと思う。
何かいろいろ、やっちまった感がある今日この頃。
まあ、人間、そんな時期もあるし、そうそう模範的なできた人になれる訳でもないし。
ちょっとここらで、立ち止まって考えてみるか。
って、今日、思いました。
はあ。(^^;