この頃、自宅裏の小屋の中で、細々と作品制作中です。
奈良の阿字万字(あぜまめ)さんでの作品展は、作品の数は多くなくても良いので、何とかなりそうです。
と、そんな介護と製作の合間に、量子力学の大雑把なところを、数式を用いないで説明しようという本を、読んでいます。
量子力学というのは、高校で習う物理に関しても、量子力学の考え方で説明されたからこそ分かるというような内容が含まれていて。
ああ、それって、既に量子力学の端っこに、触れているんだなあみたいなことになっています。
そういえば、聞いたことあるけど、ハイゼンベルクの不確定性原理とか、シュレディンガー方程式とか。
でも、何か、部分的にしか分かってない感じはあって。
決め手は、この春ですね。
「スピリチュアルが、量子力学で証明されたって、ホンマ?」
と、古い友人に真顔で聞かれた。
いやいや、そんな訳がない。
で、どんな話になってるねん?
ってことで、その元になる文章を探して読んでみて。
いやいやいやいやいや、違うやろ!
って、思ったけど、私自身が、量子力学の何かをちゃんと分かってないせいで、何が違うのか、明確に言えなかったことが、悔しかったんですね。
ネット上に、それは量子論として、おかしいって話が出てこない感じがするのは、私みたいにちょっとだけ分かっているような分かってないような、みたいな、中途半端な人はともかくとして、分かっている人は、アホらしくて、説明する気にもならへんってことかなあと思う。
「ハイゼンベルクの不確定性原理」というものがある。
観測するという行為によって、観測される量子の状態に影響が出てしまう場合、観測には物理的な限界があることになる。
量子の位置xと、運動量pの観測精度の間に、反比例の関係がある。
量子の観測は、プランク定数より精密には測定できない。
と、まあ、そんな風に説明されるのが、ハイゼンベルクの不確定性原理というもの。
良く言われるのが、「電子がどこにあるか」知りたいと思っても、「ある時間にある場所に存在しているというのが、厳密には特定できない」なんていう話。
この時の限界として出てくる、プランク定数hとは。
h=6.62607004 × 10
-34 m
2 kg / s
まあいえばですね。
目に見えないサイズの電子が、どこにあるねん?って話をするときに。
目に見えないサイズの物が、ちょろちょろ動き回る範囲のどこかにあることは分かっているんやけど、それが何とも、きっちりわからんねん。
って話ですけど。
そもそも、老眼鏡をかけて特定できる範囲よりは、はるかに小さい世界な訳で。
それだけわかってりゃ十分ですよ、日常生活に置いては、くらいの話なんです。
この話をするときに、「月は観測するまで存在しない」なんて、例え話が良く出ますけど。
これは、有名な物理学者が、例え話として持ち出したので、有名なまま良く使われますけどね。
月は、多くの材料からできていて。
その材料を、それぞれミクロのレベルまで小さく厳密に分解してみた時、そのレベルでは、ある時間にどこにあるのか?っていう位置が、プランク定数の桁くらいの誤差を持っていて、厳密には言えないって話なんですけどね。
月のサイズを考えてみて。
平均の直径が、3,474.3 kmなんだそうです。
ミクロのレベルで、それの構成要素の一つ一つについて、存在する位置に、10
-34m2レベルの誤差があったとして。
そのくらい誤差があるので、月に位置は、厳密に言えないんですよ。
って言っているって話やんな。
これって、考え方として、間違ってないやんな。
でもま、そのくらいの誤差やったら、誤差含みで見上げても、大体は、思った方向に見えているっていう話です。
人間もそう。
ほら、ハイゼンベルクの不確定性原理によって、「人間もまた、ミクロレベルでは、その構成要素の位置が厳密には観測によって出せないから、どこにいる?と聞かれても、厳密にはここと言えないねん」って、言えなくもないけど。
どのくらいの誤差やのん?
って聞くと。
既に、そのレベルの誤差を超える距離を、鼻息一つの作用反作用で、動いてるで。
って話になる。
私は、観測するまで、その位置を確定できないねん。
って言われても。
大丈夫、そんなおばかさん、その誤差含みのまま、目をつぶって叩いても、ちゃんと命中するから。
そういう話だということだ。
電子の位置を確定できない話でもさ。
電子の位置は、大体この範囲のどこかにあるっていう、「確率の雲」のような範囲のどこかにあるっていうことまでは分かっている。
そこを超えて、はるかに遠くにはいない。
観測するまでは確定しない、だから、人間もまた、自分で決めない限りは、何者であるかも確定はしないのだ!
とか、書かれているのに対して、量子論的に言えば。
まあ、それでも、この範囲のどこかというのは、分かっている訳で。
人間に例えるなら、「私が、会社員としてどのくらいお給料をもらえた可能性があったか?」というところは、「場合によっては、もうちょっと多かったかもしれない」という可能性はあったとしても。
大丈夫、島が買えるほどの大富豪みたいには、稼げてないからさ。
実は、お父さんが実の父じゃなくて、ほんとは、大富豪の娘で、実の父が探してくれていたの。
なんて話は、まあないってことですよ。
限られた可能性の雲のどこかにいる。
ただな。
努力によって、月に一万円、お給料が増えたら、それは、価値がある努力だと思う。
それを幸せと感じられる、自分頑張った、人生捨てたもんじゃないと、小さな幸せを喜べる感性こそが、人を幸せにすると思うんやけど。
「人は何にでもなれる、それは、量子力学が証明している」なんて、どこのパラレルワールドの量子力学やねん!?
って、思った。
奇跡を待つ間があったら、目の前のことをコツコツとやる方が、よっぽど正しい。
それって、量子力学とは、何の関係もないけど。(^^;
あらためて、量子論の本を読んでいて。
「銀のコロイド発色がなぜ青い?」という、局所的表面プラズモン共鳴の話や、「銅イオン発色はなぜ水色か?」という、結晶場理論の話は、この量子力学の発展した先にある話だったらしいことはちょっと分かった。
やっぱり、宇宙は、美しいんじゃないのかなあと、思ったんです。