なんだか、世間では、またまた人工知能ブームが到来しているらしく。
シンギュラリティとかいう話があるらしいですね。
シンギュラリティ、技術的特異点、人工知能が人間を超える時。
懐かしい。
どの辺が?
私が、会社員になったのは、約28年くらい前ですが。
配属されたのが、人工知能(AI)をどうにかしようという部署でした。
私で、4人目。
機材は、当時、ワークステーションと呼ばれていたコンピューターが、1台。
今となっては、家のパソコンの方がずっと賢いだろう。
いや、スマホの方が、ずっと賢いやんな。
無謀や。
何をするねん!?
っていう目的がなくて、AIを何とかしようというのだから、それは無理という物。
その後、入社数年目に、必ず書かされるというレポートのようなものに。
旅行のスケジュールを作るシステム。
仮想的な建物の中に、仮想的なデパートがあって、買い物ができるシステム。
街を歩くとき、地図を表示して、道案内してくれるシステム。
とか、そういう話をレポートにしようとしたら、上司に止められた。
その上司のさらに上の上司に、レポートが回って、合格をもらわないといけないのに、その人たちが、そんな荒唐無稽な話に合格点をくれると思うか?
という訳で。
無難に、リレーショナルデータベースの話だったか、つまんない話をレポートにした覚えがあるけど、どんな話だったか、もう覚えていない。
が、私がぼんやり夢見ていた物は、ほぼ、実現しているよなあ。
旅行のスケジュールのシステムには、時刻表のデータとかが入っていて・・・・・・って、ほぼ、乗り換え案内と近い感じ。
お買い物ができるシステムは、今となっては、普通にある。
道案内は、カーナビから始まって、今どきは、スマホでもやってくれる。
そして、当時、人工知能で実現しようとしていた物は、かなり実現している。
一つは、検索システムで。
いろんな形のデータの持ち方のモデルがあって、そのデータの中から、関連するデータを探し出してくるというもので。
一日一回は、何かを検索しているもんなあ、ネット上で。
しかも、ネットワーク型のデータの持ち方で、これは、個人があちこちでアップするわけなので、データは、質さえ問わなければ、どんどん、増殖している。
データ入力人員を雇って、紙ベースのデータを電子データに変換するしか、電子データを増やす手段がなかった頃と比べたら、スキャン技術も進んでいるしなあ。
その膨大なデータの中から、キーワードに関係するデータを、検索エンジンが探してくる。
検索する際には、一つのリンクを、どんどん深い所まで探しに行くのか?
横並びのリンクの優先順位をどうつけるのか?
なんて話があって。
そういう話が、人工知能の括りの中に入っていた、当時は。
私たちが、な~んにもできずに、部署名が変わったその後に。
当時夢だったことが、実現してしまった。
ただ、この検索エンジンなんですけどね。
もうちょっと何とかならないものかなあと、良く思う。
「とんぼ玉教室」を探しているのに。
とんぼ玉を着けてピアノ教室に出かけたなんて言うブログが上がって来て、肝心の教室は、すぐ近くにあるのに、検索の頭の方にはかかって来ないなんてことがあって。
それは、「とんぼ玉教室」の先生が、検索エンジンのセオリーのお勉強が足らず、検索にかかるようなアップの仕方をしないからいけないんや!
と、怒られたりする。(^^;
そう、先生が悪い。
検索エンジン様が、気に入るようなデータを上げて差し上げないから、見向いていただけない。
探す方も、探し方が悪い。
検索エンジン様に、何だそうならそうとちゃんと言え!とツッコまれそうな探し方しかしないからいけない。
そう、探す方も悪い。
そこは認めましょう。
ただ、検索エンジン様も、まあ、まだまだ、そこまでのものなんやな。
私が、AIでは実現できないと思っている物がある。
それは、「自分でも何故そう望んだのか、説明できないけれど、なぜかそれを望んだ」みたいな、人間の「モチベーション」に端を発して起こる、人間の思考の部分。
考えても考えても、ケースバイケースで、最適な答えが変わる物。
一応の答えを出しながらも、これで本当に良かったのだろうか?って、決めかねてしまう事柄。
そういう物は、AIには向かないと思う。
今言われているシンギュラリティは、問題の答がすでに分かっている事柄を、学ぶ速度を、AIと人間で競ったら、AIが勝つかもって話な訳で。
介護の局面で、複数に枝分かれする選択肢の中から何かを選ぶとき、本当にこれで良かったのか、考え抜いても分からないことがある。
だだ、ベストな答えでなくても、自分なりに答えを出さないといけないことがある。
そうして、前へ進んで行ったときに、後から振り返って、見える物も多い。
そういう体験を通じてしか、理解できないことも多い。
ああ、私は、こういう時、こんな風に感じる人だったのか、と、あらためて自分を知ることになる。
そういう私に、AIは、共感してくれるだろうか?
いや、無理だ。
だったら、人間は?
似たような体験をした人であれば、自然と共感できたりする。
そこは、誰に教えられたわけではなく。
共通の感覚が、脳の中のどこかに備わっているんだ。
ほらほら。
そこですよ。
どこどこ。
↑くどい!
誰に教えられたわけではなく、自然と理解できる部分。
私はこれを選んだし、こう感じていたけれど、状況が変わっていたら、あの人のような感じ方をしたかも知れない、と、自分が体験しなかった部分でも、誰に教えられることでもなく、あるあるって思えることもあったりして。
そういう仕組みの部分がね。
まったく、今のAIには、備わってないってことなんです。
決断に至る、動機(モチベーション)の部分を、どこが生みだしているのか?
その仕組みは、今のAIの中には、ない。
この職人のこの仕事を、正確に再現してみなさい。
こういうルールの勝負(たとえば将棋)で、人間相手に、勝利してみなさい。
と、目的が明確な物なら、AIに学習させやすい。
でも、AIとまではいかなくても、コンピューターにやってほしいことは、実はいろいろある。
例えば、ケアマネさんが、利用者さんの予定の変更に応じて、配置するスタッフのシフトを調整する際に、シフト案を、数個作ってみる作業とか。
AIに作らせておいて、その中から最適なものを、人間が選んだらいい。
それで節約できた時間を、忙しいケアマネさんは、人と関わる部分の仕事に使う、とか。
お料理の既存のメニューを組み合わせて、腎臓透析患者のための、リン分やカリウムまで含めた量の計算をしてくれたり。
食品成分表データがあって、メニューの種類が100~200種類くらいあって。
メニューに患者さんの鉱物に応じたランキングを付ける機能があって。
お料理同士の組み合わせで、合う組み合わせの最適度をデータとして持っていて。
トータルのお料理にかかる時間とか、材料費のおおよそのデータがあって。
今冷蔵庫の中にある材料で、使おうと思っている物を入力できて。
で、このくらいの量なら、食事制限内で収まるし、栄養価的にも良い感じ、みたいなメニュー候補を作ってくれるシステムとか。
介護の補助を、機械でするときに、力の入れ加減の微妙なところを、AIでコントロールして、より快適に介護を受けてもらえるとか、そういうのは欲しい。
今、あらためて流行っているAIというのは、昔のブームのAIと違って、微妙な力加減のコントロールなど、そういう学習をさせられるようになったってことじゃないのかなあと思う。
今どき、画像認識技術とか、センサー技術とかが進んだので、それを利用して、数値化や文字データ化していないことでも、学習に使えるようになったんだろうなあと、勝手に想像してみたりする。
あ、表情で、快不快を読み取って、介助者にダメ出ししようなんて話も、ありましたね。
「ダメです。今の表現は、気に入らなかったようですよ。2フレーズ前の表現に立ち返って、もう一度、お話を聞いてみることをお勧めします。」
とか、AIに言われたら・・・・・・
腹立つわ~!と思ったりするんやろか?
人間がダメだししたら、角が立つけど、AIがダメ出しする分には、公平は公平やもんね。
↑何を思い出しているのか?(^^;
あ、切りが無くなったので、この辺で無理矢理終ろう。
そう、この頃のマイブーム。
心の中で、毒づく。
「アンタ、AIに取って代わられるで!」
人類のくせに、「安全第一!」とか、単純な割り切り方でしかものを考えられない単調な考え方の人に当たった時。
それだけが、全てか?
と、そんな問いが、むなしく、心の中で、空に消えて行くとき。
いえいえ、そんな、毒づいてばかりはいませんよ。
忙しいから。
というだけでなくて。
今のところ、ちゃんと、一緒に答の出ない答えを探そうとして下さっている人類が、周囲にたくさんいらっしゃる状況のため、もう、毒づく状況に目を向けなくても良くなったかも。
って、まあね。
この年にして、いろいろ、学ばせてもらっているし、ちょっとは、成長していたいなあと思う、この頃なんです・・・・・・けどね。
どうかな?(^^;