板ガラスのカットの動画が目についたので見てみました。
そうか。
ネット社会で、こういう動画が流れると、世間の人は、これがスタンダードだと、無意識に刷り込まれちゃうんやなあ。
実は、20年以上前、一か月に2回ペースで、2年間ステンドグラスを習い。
20年前に会社員をやめてから、もうちょっと頻度高くならって、バーナーに移ってしまい。
ステンドをやらないと思った訳ではないけど、初心者レベルで、フェイドアウトしてしまいました。
なので、ティファニーのチューリップのランプ、はじめたばかりの状態で、そのままにしてしまいました。
結局、平面作品しか作らずに、終わっちゃいました。
が、私の先生は、ガラスの切り方一つとっても、きちんとしてはったなあと、知らない人の動画を見ながら思った。
私が習ったのとは違うなあ。
ああ、そんなことして取ったら、先生に怒られる。
その順番でカットしたら、先生のチェック、入る。
ああ、そんなことして、スコアライン入れるんや。
と、心の中で、ツッコみが入りまくった私でした。
先生のチェックは、実にもっともなもので、とても合理的です。
長い経験に基づいて、積み上げられたものが、ちゃんと背後にあることを感じました。
先生は、結構厳しいことで知られていましたが。
私は、仕事の良い人に習いたいと、会社員だった2年間、フラストレーションを溜めまくっていたので、会社員をやめてから、夜のクラスから、昼のクラスの先生に変わった時、すごくうれしかったものでした。
言葉は厳しいけど、ちゃんと教えてもらいました。
何でこんなことを書くのか?
今。
世間では、手仕事に対して、お手軽過ぎると思う。
何でも簡単にできる感覚で、とらえている人が多い気がする。
何でかなあ。
人間業でここまでできるんやなあみたいに、心を射抜かれるような出来の仕事に、私は会いたいと思う。
そうでなかったら、つまらなくて、心が死んでしまう。
で、一生懸命やって、上手くなりたいと思う。
どうせ、自分の時間を使うんなら、一生懸命に頑張りたいし、そうしたいと思う対象に、ちゃんと出会いたいと思う。
結局、ステンドではなくて、バーナーにハマって行った訳だけど。
先生に教わったことは、たくさんあって。
今も時々、何かの時に、思い出します。
ステンドとバーナーの違いはあっても、物を作る時の信念のようなものは、きっと共通の物だからだろうと思う。
「アンタな、どうせ、時間かけるんやったら、エエガラス使い。儲けとうて言うとるのん違うで。ステンドは、手間がかかるんやから、安物のガラスで手間をかけるんやったら、エエガラスで手間かけた方がエエやろ。完成までの時間考えてみ。材料費を月で割ったら、大した金額やないやろ。」
いや、全くその通り。
こういった、深いお言葉を、何気に、いろんな場面で聞きました。
確か、この名言の後仰ったのは。
「ウチはなあ、ちゃんとお金のある人から儲けるから、アンタから儲けようとは思てないで。」
いや、それも全くその通り。(^^)
通っていた生徒さんたちの中には、バンバンと、お高いアンティークガラスを買う、セレブなマダム方がいらっしゃったようです。
なんでかなあ。
私、先生のこういうところ、好きでした。
しかも、割とストレートにおっしゃるところも。
先生、一応、相手を選んではったんやろうか?
いや、違うな。
私の勝手な思い込みによると、どうも、その辺の感覚が似ているらしく。
先生と私は、相性がいいと、勝手に思っていたあの頃でした。
懐かしいです。
話が逸れましたが。
世の中の仕事には、本当は、上には上がある。
もっともっと深い世界がある。
そういう物は、お手軽な動画として、ネット上には上がって来ないものだと、私は思っています。
それは、敬意を払って、教えを乞うものだと思っている。
ま、そういうの、この頃、流行らないらしいですけどね。
「そこまで、別に、教わろうと思わないし~」ってことですね。
まあ、そうやんな。
昨日の教室で、めっちゃ若い生徒さんに。
「ありふれたものになることを、コモディティ化するというらしいで。」
なんて、コモディティ化の話をしていると。
「それを言うなら、最近、人間自体がコモディティ化してるんじゃないですかね。」
お、そう来たか。
若い子は、若い子なりに、ちゃんといろんなことを考えているらしい。
すんません。
要らん愚痴です。(^^;