ふく蔵さんの作品展が終わってから今日まで、教室のデモ以外では、バーナーに火をつけていません。
以前、とある作家さんが、バーナーに火を付けない日は、基本的にほとんどないというようなことをおっしゃっていて、すごいなあと思ったことがあります。
そういう意味では、ブランクのど真ん中ですね。
5月中は、お片付けとお掃除と、洗濯、母の退院の段取りと、退院後のペース作り。
6月に入ってから、工房の模様替え。
6月1日は、おっそろしく散らかった工房をそのままにして、6月2日に近藤直美さんの個展に出かけ。
6月3日は、母とスーパーにお買い物に行き、母を美容院に連れて行き、その合間にお洗濯をしていたら終わってしまった。
6月4日(月)の夜、ランの散歩で、ふと夜空を見上げた。
さそり座があるのは分かっている、そして木星も。
で、上空は何だっけ?と思って、仰ぎ見た。
北斗七星、春の大曲線か。
と思って、正面を向くと、激しい眩暈に襲われて、しゃがみこんだ。
詳細は省きますが。
例の、耳石が欠けて、三半規管の中をぐるぐる回って、三半規管のリンパ液がかき回されて眩暈が起こるという。
なでしこジャパンの澤穂希さんと同じ眩暈です。
32歳の頃、一回激しいのになって。
その後、ごくたまに再発。
今回は、俯いたり、上空を仰ぎ見たりする方向の動きで、眩暈が激しい。水平方向は、ほとんど平気。
月曜時点では、眩暈の原因が分からなかったんだけど、今朝、俯くともれなく眩暈が起こることに気づき、でも、俯かずに前方を向いたまま、座った姿勢から急に立ち上がっても、眩暈は起こらず。
やっぱり、耳石か。
ある意味、ホッとする。
症状の割に、命に関わることのない眩暈で。
けっこうあれこれプレッシャーになったので、急きょ、母に介護施設でお泊りしてもらうことにした。
透析の送迎場所も、変更してもらった。
助かる。
小規模多機能は、急な変更に対応してくれるので、ありがたいです。
で、私は何をしていたかというと。
工房のお片付け。
俯いてはいけない。
床を見たいときは、2~3メートル下がって、目線だけ落として様子を確認。
下の物を取る時は、前を向いたまま腰を落とし、横目で床を見つつ、手を伸ばして掴む。
おかしい・・・・・・。
客観的に、今の私の姿を見る人がいたら、絶対、笑える。(^^;
お片付けというか。
もともと、酸素バーナーを設置しているのは、南の壁に向かって座る机で、南東端が私、その隣が弟の席だった。
ちょっと物を増やしたせいで、南東端の席が窮屈になり。
元の私の席は物置になっていて、弟が座っていた方の席でここ数カ月は酸素バーナーを使っていたのですが、物置にしておくわけには行かない。
片づけました。
バーナー机を30センチずつ西にずらして、ゆったり座れる感じに変えました。
排気ダクトを引っ張り過ぎておかしくなったので、そのうちやり直したいけど、まあ何とか使える。
両方の机で、酸素バーナーを使えるだけの場所を確保しました。
明日、酸素ボンベを、もう一本設置してもらいます。
南東端が、私のボロ専用席。バラクーダーを設置。
その右側(西側)は、ピラニアを設置。生徒さんにボロを使ってもらうためと、私がたまにモレッティを使うための席として、ガラスなどは置きっぱなしにせず、こまめに片付ける方の席です。
ここしばらく、毎年どこかを模様替えしている。
趣味か?
趣味ですね、模様替え。
ただ、じわじわと模様替えしつつ。
結局は、「そこまではねえ」と思いつつ、どこかで自分をセーブしていた物を、外している。
ボロに手を出すことにした。
生徒さんにボロをやってもらえるようにした。
本当は、私はそういう人なんだと思う。
自分の中でホットなものに蓋をして我慢をするのは、向いていないんだと思う。
締切がない。
お金もあんまりないけど。
幸せだ。
何を作っても良いんやもん。
注文や締切りといったノルマがない。
ただ、自分がやってみたい物に挑める。
そして、作ってみたい物がある。
いくつか。
既にある程度形になっているクラゲを、もう少し足のひだが鮮明になるように作り直して、ボロでマーブルを作りたい。
既存の作品のアレンジで(例えばつぼみとかの)ボロのマーブルを作りたい。
この辺は、かなり具体的に作って行けるレベルの物。
他に、新たに試したいものもあって、具体的なモチーフ探しをして設計図をこれから書いて、うまく行くか何段階も試作をしないといけないけど、作りたい物の形はある程度決まっている。
でも、まだ内緒。
もっと漠然とした作りたい物。
一目見て私の作品と分かるような、私の宇宙。
小学3年生の時に買ってもらった全12巻の図鑑の7巻が、天文と地学で、そればっかりずっとずっと見ていて、中学一年の時にビクセンの10センチ反射望遠鏡を買って、中学の時は理科の先生と友人と一緒に星を見ていた。
高校の時は、校則が厳しすぎて、あまり星を見ていない時期。天文少女暗黒の時代。自宅の庭から、一人で見ていた頃。
大学の時は、天文同好会で、そこそこ見ていた。大学の時に、15センチ反射望遠鏡に買い替え。
でも、会社員時代は大阪だったので、大学卒業とともに、天体観測をしなくなった。
何年間?と聞かれたら、10歳の時から22歳の時まで、筋金入りとは言えないものの、何してた?と聞かれたら、「天体観測」してました。
でもね。
本当は、望遠鏡越しに見る星空よりも、澄んだ暗い空から降るような銀河を肉眼で見るのが、一番好き。
手に取ると、あの頃のトキメキが蘇ってくるような宇宙を、いつか作ってみたいんだけど。
まだ、それがどんなものなのか、具体的には何にもなく。
いつかできる日が来るのかも、全く分かりません。
「魔物」ですから。(^^;
ただキラキラを散らしただけで、十分宇宙で、十分綺麗。
コワイな~。(^^;
そうそう。
何を作ってもエエんや。
何を作ろうかなあ。
そんな風に考えている時が、一番幸せです。
とりあえず。
早く欠けた耳石に、三半規管から出て行ってもらいませんとね。
パソコンは、俯かないで良いから、全然平気なんですヨ。(^^;
あ、カペラホテル。
カペラ。
御者座ですね。