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とんぼ玉作家ガラスのさかなの「タワゴト日記」

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真善美って、そういうことか

 ちょっと前に、3冊ほど、本を読みました。
 中野信子さんの「サイコパス」と「シャーデンフロイデ」。
 ビジネス書大賞2018準大賞と帯に書かれていた、「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」。

 サイコパスでは、「共感」というものがそもそも苦手な人がいて・・・・・という、日常的に身近にいるサイコパスの話。
 シャーデンフロイデは、脳は、他人の不幸を喜ぶという側面を持っているという話。
 ま、どっちも、途中で迷走を始めて、論点がずれて行っている感じはしたのですが、そのずれている部分は、また違う話として参考になることもあって、ふ~~~んって、思ったりもして。

 でも、サイコパスと安易に括らなくても、人間が、困った方向にずれておかしくなっていくことは、本来の人間が持っている正常に働いたら自分を守るための仕組みが、いろんな要因で、困った個性を作り出してしまうという説明がちゃんとできるはずなんじゃないかなあと思ってしまった。
 自分を守ろうとするあまり、正常な判断ができなかったり、自己評価が低いため被害妄想的な判断しかできなくなったり、その結果、過剰な防衛が、許されない範囲の他者への攻撃になったり。
 あの人、変なんよと括ってしまっても良い訳なんでしょうけど。
 もう一歩踏み込むことで、自分自身を省みて、ああ気を付けようと思うきっかけになったり。

 そしてシャーデンフロイデの面白いところは、真ん中あたり、本題からずれている。
 集団の内輪の常識は、世間の非常識みたいなことがやけに噴き出してきている昨今の話題にぴったりで、それが、アメフト危険タックル問題の背景にどういう人間の行動があったのかを説明する様な内容だったり。集団のルールの中で、人間がいかに残酷になれるかとか、そういうところが書かれていて、やけにタイムリーだと思った。

 そして、最後の「なぜ世界のエリートは「美意識」を鍛えるのか?」と言う本。
 中野信子さんの本が、人の行動の説明が、なんだかなあ、どこか安易な気がするなあと思って読んでいたんですが、こっちの本の方が、ちょっと前に話題になった困った人の行動をうまく説明していた。
 そうやんな。
 普通の感覚で言えば、科学の世界の「真理」や「法則」に、ごまかしや嘘をさしはさんでも、確実に後から覆されることは、普通に考えたら分かるだろうにと思うんだけど。まあ、その場にいたら、違う判断になってしまうんかも知れへんなあとも思った。

 自分で書いていても、一人納得して書いているので、何を言いたいのか分からない文章になっている気がしますけど。

 3冊目の本に、「真善美」という言葉が出て来ます。
 これは、AI関連の本を読んだときにさらっと触れられていたワードで、唐突過ぎて、あまり説明がしてなくて、良く分からなかったんですけど、この本で、やっと納得しました。
 論理思考というものが、まだ行きわたってなかった頃は、論理思考で考える人が少なかったため、他より優位になるために、役に立つものだった。
 ところが、論理思考で考える人が増えてくると、結果が横並びになって、他より優位に立つためにはそれでは足りなくなって来た。しかも、論理的に考えられるものと言うのは、言語化しやすい、または数値化しやすい対象しか含めないという弱点も見えてきた。
 そこで、人間の脳が、何となく「真実な気がする」「良い気がする」「美しいと思う」という、感覚的な判断が、実は言語化しにくいけれど、何か、根拠があってそう感じているはずで、その「真善美」の感覚を、意思決定に持ち込んだ方が、より良い決定ができるんではないかと言う話になっているんだそうだ。

 例えば、激しい言葉を投げかけられた時。
 意外と、平気な時もあれば、激しく傷つくこともある。
 実際、激しい言葉を投げかけた、あの人とあの人は、何が違ったんだろう?
 そんな風に、ふと思ったとき。
 日差しが強くて、すごく暑い駐車場を歩いていた時。
 ふと、ひらめきが来た。
 「あ、そもそものその言葉の後ろに、『真善美』が含まれていたかどうかなんやなあ。」
 本当は、激しい言葉など、投げかけないに越したことはない。
 だからこそ、『真善美』が背後にあったあの人には、激しい言葉を投げかけるような習慣は、ぜひやめて欲しいなあと思ったりした。
 実は、それはそれは大勢お世話になったお医者さんの一人で、そういう人がいた。
 インフォームドコンセントって、家族の同意を得たという形が必要な訳で。
 どっちが良いか、選択肢を示されたとき、そうは言っても良く分からない。
 こっちってどうなん?と思って質問した途端、切れ始めた。
 後から考えると、先生の中では、結論ありきだったんだなあと思う。
 質問の内容が、先生が良いと思っていない選択肢の方に、関わることだったから。
 もう一つの結論を、当然こっちを選択すべきだと、考えていたんだろうと思う。
 すんごく、話が咬みあわず、訳が分からない。
 ただ、徐々に分かって来た。
 自分が思うとおりでないと気が済まない人なんだなあ。
 ただ、その結論が、患者さんにとってベストであるべきと言う完璧主義から来ている。
 保身とか、自分の印象を良くしようとか、そういう発想って、ないんですかね?
 母に、過去にされた処置がその時点でもベストな判断とは思えなかったらしく、そこをねちねちと言い始めたんですけど、それって、私が責められることなんでしょうかね?って、思って聞いていた。
 そもそも、あの時、もっと違う説明をされた。
 「なんで?」とか、やたら拘る。
 心の中で、それは、前に処置した先生の技術が、アナタの技術より劣っていたからじゃないんでしょうか?って、心の中で返していた。
 口に出したら、めんどくさい。
 その次に、はっと気づいたように、「過ぎたことを言ってもしょうがないか」とか、ぼそっとつぶやいた。
 ふ~ん。
 自分のことを見ているもうひとりの自分がちゃんといるんやね。
 患者家族の不備は、やたら突いてくる。
 でも、患者本人に対しては、ベストな選択をしようと夢中になっている。
 これもある意味、典型的な職人気質で理系君なんやなあ。
 でも、もうちょっと、コミュニケーションのあり方、考えた方が良いと思う。
 なぜなら、もう一人の自分が見ている以上、そして、自分自身の状況を分析できるだけの高い知性を持ち合わせている以上、それができるはずだから。まだまだ、若いし。
 その方が、本人んも、周囲の人も、もちろん患者さんも、患者家族も、全ての人が豊かなものを分け合えるはずだから。
 でもな。
 この先生、嫌いじゃなかったです。
 今も、この先生が処置してくださったところは、快調です。
 きっと、母にも良かったと思う。
 それに、患者本人、つまり母ですけど、には、とても優しかったのですよ。
 あ、私、当たられ損?(^^;
 一方。
 あまり詳しくは書きません。
 激しい言葉を投げつけられて、実は、酷く傷つきました。
 あれは、人として、まずいと思う。もちろん、悪い印象しか残ってない。
 ひどく傷ついて、ふと、先生のことを思い出し、やっぱり、ダメなんやと思うって、思った。
 でも、ふと気づいた。
 そうか。
 その背景に、「真善美」が、ちゃんとあったのか、そうでなかったのか。
 そこが、違ったんだって。
 ゴメン、先生、一緒くたにしました。
 似ていて、非なる物でした。
 なんか、処置をして、経過を見て、最後に診察があってという一連の中での、先生とのやり取りを思い出していた。
 時々、会話の中で、もう一人の自分が、ひょこっと顔を出すんですよ。
 けっこう、かわいいヤツだと思った。
 何か、懐かしくて、ふと、癒された気がしました。
 ほんと、お世話になったなあ。元気でいはるかなあ。

 そうだよね。
 何かあった時。
 そこに「真善美」はあったのか?
 自分の判断にも、ちゃんと、問いかけようと思った。
 だってさ。
 もう若くないし。
 なんか、ホンマに大事なことのために、自分の時間は使いたい。
 そう思うこのごろです。


by glass-fish | 2018-08-03 16:05 | 日常