人気ブログランキング |

とんぼ玉作家ガラスのさかなの「タワゴト日記」

firegoby.exblog.jp
ブログトップ

<   2017年 07月 ( 9 )   > この月の画像一覧

バーナー、またまたお引越し(^^;

 介護絡みで、自宅裏の小屋に移していた酸素バーナーを、工房に戻しました。
a0163516_02071665.jpg
 酸素ジェネレーターが、不調のため、製作ができなくなったから。
 工房には、酸素ボンベがあるので、どうしても酸素バーナーが使いたければ、こっちで製作するしかないのでした。

 今の製作ペース、結局、母が家にいる間は、何だかんだで作ってないので。
 だったら、母が、介護施設か透析に行ってくれている間に、工房にダッシュすれば、何ら変わらないってことになる。
 と、数日前から、うすうす、思ってはいた。
 そんな矢先に壊れた。
 ↑でも、奈良の締め切り直前は、痛すぎやん
 しかも、最近、ダブルへリックスの銀成分の入ったガラスを使っているので、ちゃんとダクトが設置してある方ですべきではないのかと思っていた矢先でもあって。
 まあ、必然やな。
 この流れ。

 ただ、ジェネレーターが使えないということは、ボンベの充填費用は痛い。
 仕方ないか。
 すみとさんの4人展までの間の製作は、これでやります。
 その後は、また、考える。

 自宅裏に、エアコンまで設置してもらったのに。(^^;
 エアコンのいる時期は、工房での製作になりそうです。

 その後、すみとさんの締め切りが落ち着いた頃、またまた、介護の状況が変わる予定なので……
 自宅裏には、エアバーナーを設置して、エアバーナーでの製作に切り替えることになるのかな。

 そんなこんなで。
 明日、いや、もう今日ですね。
 一個でも作れるだろうか?
 というか、それが、ちゃんと冷めて、発送に間に合うだろうか?
 タグ付けしたほうが良いような気がしてきました。(^^;

 ジェネレーターは、他の原因だと思っていたけれど、出力を上げても圧が出ないし、出力を上げようとしたら、変な音がするので、どこからか空気というか酸素が漏れてしまっている気がする。
 ここの所、全然大きな炎が使えないとは思っていて。
 徐々に、漏れていたのが、今日、使えないまでのレベルで、漏れてしまっているのでは?
 ジェネレーターを開けている余裕があるだろうか?
 それは、先に延ばして、すみとさん向けの製作をした方が、良いんだろうか?

 まあ、大体、物事は、こういうタイミングで起こる。
 最近、そう思います。
 狼狽えたり、怒ったりしたら、時間の無駄。
 理性はそう言うけど。
 あほ~!
 何でやねん!!!
 と、叫びたい。(^^;


by glass-fish | 2017-07-31 02:26 | 日常

AIは、介護を救うか?・・・・・・介護ブログと化す(^^;

 父が、ロングショート(ショートステイを長く繋ぐこと=ずっと預かってもらっている状態)で、預かってもらっている施設に、今のところ一日一回は、行っています。
 顔を見るのと、事務的な手続きと、お届け物。
 母が、いない時の方が、動きやすいため、母もいるタイミングが多く。
 ああ、施設に慣れてからは、こういう風に過ごしてるんだなあとか思って見ます。
 思うに。
 両親とはいえ、私の目線は、保護者目線になっていて、「ご機嫌良くやっているな、よしよし」とか、思って見ている自分に気づくのでした。

 ああ、それにしても。
 どれだけほっとしたか。
 ここへ移すことが決まって、ストレスが去ったと、思ったのですが。
 この頃は、ここに慣れるのに、ご機嫌伺いに行かなきゃとかはあるものの、新たに、市役所での手続きや、お買い物などの用事が発生するものの。
 実際にここへ移ってからは、自分自身が、寝るとすごくぐっすり眠れている感じがします。

 一つには、病院に頼ると、今の医療保険の制度上、3か月ごとに見直しがあって、場合によると、3か月ごとに、次のところ次のところと、転々としないといけない可能性もあるから。
 本人の状況が変わることで、また入院という可能性もないではないけど、そこが変わらなければ、長いスパンで考えて、腰を落ち着けることができる。
 何よりも、お世話になる人が、固定されることがありがたいです。
 母が、先にお世話になっていたため、一か月近くは関わりができて、ケアマネさん、看護師さん、スタッフさんの感じが分かった上での利用のお願いだったので、信頼できると思った人のところに移れる安心感は、大きかったですね。

 今のところ、いろんな噂を総合すると、かかりつけの先生も、良い感じ。
 以前のブログで書いていた、他の施設の利用の場合のかかりつけの先生と一緒の人で。
 「うわさを聞く限りサバイバル系」と、書いていた人です。
 そもそも、いろんなケースの往診でしかお願いしにくい人のかかりつけ医を、基本的には、断ることなく引き受けてしまう、しかも、一般の診察でも、どんな人でも断らずに引き受けるという段階で、やっぱり、サバイバル系やと思います。


 そうそう。
 今日の本題。

 AIにやってほしいこと、ありました。
 これ、絶対。

 見守りが必要な人の、見守り。
 例えば、夜間寝ているとき。
 ↑昼間もそうですが
 体温や呼吸や、体の動きなど、正常な範囲と、何か異変のある状態を見分けて、お知らせしてくれる機能が、広く普及すべきだと思います。
 父が祖母の介護をしていた時、見守りのプレッシャーで、疲弊していました。
 私も、母が帰ってきてすぐのころには、気にしすぎないように割り切るべきと、自分の気持ちをコントロールしようとしつつも、やはり、無意識の内に、それなりに気になってしまう。
 この機能があれば、俳諧の恐れのある人の見守りや、ベッドから立ち上がると足腰が弱くて転倒の危険度があるので、病院で、危険度が高いと判定される人の見守りもできるはずで。
 今は、いろんなセンサーを使っているけど、完全に、安心感は上がります。

 何よりも、認知のある人の見守りのプレッシャーたるや。
 いつだったか、家人がちょっと目を離したすきに、認知のある人が、線路に入り込んで電車の運行を止めた損害について、奥さんと息子さんに、とても払いきれる額でない損害賠償の判決が出たことがあって、そこは後日、違う判決が出たと記憶しているのですが。
 最初の判決を聞いたとき、裁判官、罷免できるなら罷免したい。
 絶対、経済的余裕があるから、介護を、奥さんか施設に丸投げしている人やで、って思った物だった。
 そんな判決が出るようでは、家族が認知になったら、俳諧のプレッシャーだけで、家族がみんな疲弊して壊れてしまうで、って思う。

 今後、認知症が増えたら、その人の見守りで、これから介護を担う世代の人たちが、疲弊してしまうのでは?と、本気で思う。
 私は、機械が得意なことは、機械に任せるべきと、考える人で。
 人間の負担を軽減させるのに、機械の導入は、大いに結構と考える人です。
 認知症があってもなくても、見守りは、どんなに人間がやっていても、絶対に四六時中は無理。
 見ていない時に、何事か起こってしまったとしても、それは、運命だと考えるべきだと思うようになりました。
 祖母の介護の時かなあ。
 でも、いくらそう思っても、気になる物は気になる。
 見守りの責任が自分にあるという人のプレッシャーは、けっこうな物なんだと思うんです。

 AIは、そういうお仕事は、得意だと思うし、四六時中途切れずできるという意味では、人よりもはるかに優れている。
 イメージとしては、複数のカメラを警備員さんが見ている感じで。
 病院の当直のナースが、やはり、複数の人の見守りはするものの、今、センサーとナースコールに頼っている見守りに、センサーよりもはるかに賢いAIの見守り機能がサポートするみたいな。
 この負担が軽減されるだけで、相当、負担は減るはず。
 病院でも、介護施設でも、個人の在宅の介護でも。

 おそらく、そういう物は、少しずつ実用化の方向にあると思う。
 某メーカーの技術で、某メーカーの系列の介護施設で、見守りシステムみたいなのを作っているみたいな話を聞いたことがあるから。
 シンギュラリティー(技術的特異点=演算速度が人間の能力を超える時)が、やって来るというならば、今の見守りシステムよりも、飛躍的に、機能の高い物ができるだろう。
 認知症の増加と、その見守りの大変さで、日本の未来が危ういと本気で思っているので。
 ホンマに、AIで、そういうのを作ってほしい。
 そうしたら、日本の未来は救われると思う。

 もちろん、AIが異変を知らせる先は、人間。
 介護そのものは、人間の仕事だと思う。
 モダンタイムスではないけど、機械相手の無味乾燥な、ヘンなお仕事に就くくらいなら、人相手の介護は、とても人間的な仕事だと思う。
 介護問題と言われるけれど。
 それこそ、見守りなどの負担が減らせたら、「問題」の何割かは、解決すると思うし、介護そのものが問題ではないと思うんですよね。

 何でそんなことを思ったのか?
 今、この時も、父の施設では、どなたかが当直されているんだろうなあと、ふと思ったから。


by glass-fish | 2017-07-28 04:16 | その他のタワゴト

父、帰る・・・・・・町内の施設へ

 今日の3時ごろに、町内の介護施設まで、父を連れ帰って来ました。
 連れ帰って来た。
 そう、連れ帰って来たんです。

 最初は、知らない場所で、知らない人に囲まれて、やはり、「何されるねん?」的空気感だったような気もするのですが。
 まあ、もちろん、緊張はしているんでしょうけど。
 まあまあ、良い感じに行ったんではないかと思います。

 父がベッドに移り。
 タオルがなかったので自宅に取りに帰り。
 かかりつけ医になって下さる先生のクリニックに行って受付をし、順番を待って、父の名前がよばれて、私が先生とお話をしに診察室に入った。
 実は、先生も私も学生だった36年ほど前、先生の方は、学内でも有名人だったため、私の方は、一方的に知っていた。
 あ~、こういう顔の人だったなあ、と、細部の画像が蘇ってきた。
 ↑実は、細部は、記憶の彼方に消えていた
 先生に、ご挨拶をし、大体の今までの症状の経緯をお話しし、初回の診察の予定を聞いた。
 その後、透析に行っている母を(今日だけ特別に)迎えに行き、たまたま今日の晩、介護施設にお泊りの予定だった母をその足で施設に連れて行った。
 ↑明日が、三宮教室で、私の朝が早いので

 施設では、晩ごはんの時間。
 先に他の方が、お食事を始められていて。
 父のごはんも用意ができ。
 予定より早く着いた母のごはんが、続けて出て来た。

 またまた、父が何を食べそうかは、手探りから始まる。
 まずは鉄板メニューの主食、「パン粥」を、次回から作ってもらえることになり。
 介護食の「すりおろし桃」「すりおろしリンゴ」を、お渡しし。

 今晩は、平日のため、たまたま、お泊りが、父と母だけらしい。
 二人で食卓のところに車いすで座って、手続きの用紙の説明を聞いている私の方を見ていた。

 病院を出るときには、看護師さんにもけっこう慣れていて、良い方もいらっしゃるんだなあと思うと、ホンマに良かったのか、ちょっと心が揺れたけれど。

 ご飯が終わるまでの経緯を見届けて、思った。
 ああ、やっぱり、こっちに移って、良かった。
 普通に、普通に、そこに座っていた。
 きっとね、小出し小出しに、誤嚥性の熱を出すと思う。
 それは、病院にいても、ここにいても一緒。
 リスクはある。
 それでも、危機管理をしつつも、日々が、大事な日常なんだと思って、過ごせる。
 なんてことはない。
 ただ、穏やかな日であるというだけ。
 私の個人的な意見は、できることなら、病院より、介護施設の方が良い。
 でも、誤嚥性の熱を繰り返す場合、それを前提に、必要な対処をしつつ預かってもらえるだけの介護施設が、なかなかないのが現実で。
 今回の選択ができたことは、本当に、私と父にとって、幸運だったんだろうと思う。

 ただ、腹をくくらないといけないのは、リスク覚悟で出してきている以上、辛い状況の決断を回避したり、人に丸投げしたり、何かが起こった際に、そのリスク含みで考えた以上は、施設に責任転嫁をしてはいけないということ。
 きっと、必要なことはやって下さると思う。
 その時、病院だったら・・・・・・と思うようなら、介護施設の利用は向いていないかも知れない。
 と、思いつつも。
 いざというとき、テンパってしまわないかは、その時になってみないとわからないさ。

 何より、日常を取り戻せた。
 そのことが、心から嬉しい。
 きっと、この決断をせずにいたら、後向いて、くすぶっていただろう。
 明日も、穏やかな一日が来ますように。
 とんぼ玉教室が終わってから、また、行こうと思います。
 ↑近いからね(^^)


by glass-fish | 2017-07-25 22:56 | その他のタワゴト

初めてのことに、戸惑う、そんなことばかり(^^;

 明日、父を、病院から、介護施設に移します。
 嬉しいです。

 祖母が、99歳の時に、初めて介護保険制度という物のお世話になり。
 それから、何年経つんだったか。
 思えば、去年の7月末から、怒涛のごとく、両親の介護へと事態が転んで行ったんだった。

 ホンマに、ケースバイケースというか。
 何か起こるたびに、初めてのことばかりで。
 「え~?それ、どゆこと?」
 みたいなことが、次々と降って来て。
 自分なりに、今までの経験で、自分なりの考えがある程度できたかもしれないという事柄も、無いではないけど。

 今回の父の件。
 病院を出て、介護施設に入る。
 こういうのって、「これからは、在宅で」って、表現するらしい。
 病院に預けるということも、空きがなく難しいらしいことは、うすうす知っているつもりで。
 それを、せっかく入っている物を出してしまうなんて、思い切ったねって、感じなのかも知れません。

 制約が多すぎて、耐えられなかった。

 介護も、どこまでもはできないし、時間的、経済的、物理的に、限界があって、どこかで折り合いを付けねばならないとは思う。
 自分のキャパを超えたことを抱え込んで、続かない状況になるのは、ただの無謀だと思う。

 でもなあ。
 ちょっとでも、何気ない日常の中に、小さな喜びがあっても良いと思うねん。
 ほんの少しの努力で、ちょっとだけ喜んでもらえたら、家族もうれしいやん。
 っていう、そういうところが、受け入れられない空気感が強い。
 管理的で、病院の方針に従ってもらわねば的な。
 できることしかできないのは、分かっている。
 でも、その「できない」のは、ホンマにできないのか、やればできるのに、慣例的にやって来なかったことを取り入れる必要を感じてもらえないから、不要なのか。

 やればできる小さなことを、やっても良いよって、言ってもらえるであろう、その安心感に、ぼっきり折れていた心が救われた。

 どんなに物理的なケアが、安定して提供されていた所で。
 何でそれだけのことが、アカンのん?って、心がどうしても納得せず。
 そのストレスとモヤモヤで、眠れぬ日が続いた。
 まあ、病院にしたら、そこを我慢して、納得して、病院の方針に従っているケースがほとんどだから、「この人は何を言っているのか?」みたいな感じなんだろう。

 すみません。
 間違えました。
 間違えて、迷い込んでしまいました。

 それでも、場合によっては、間違えたまま、他に行き場がなく、くすぶるしかなかったかも知れない。
 いや、その可能性の方が高かった。
 出せる施設があったことが、幸運としか、言いようがない。
 その施設も、できたばかりで、体制を整えている所だから、パーフェクトを求めて丸投げができるというものではない。
 ケースバイケースで、いろんなことを、一緒に手探りで行かないといけないんだろうと思う。
 ただ。
 「この人は何を言っているのか?」
 みたいに、エイリアンでも見るような目では見られない。
 そうそう、人は、そう思うもんだよね。
 どこまでできるかは別として、そう思うもんだよね、と、言ってもらえることのありがたさを、今はただ、痛感している。

 かかりつけ医になって下さった先生と、ケアマネさんが話をされたときのことを、ケアマネさんから聞いて。
 ああ、やっぱり、私は、間違えて迷い込んで、聞き入れられない要望を、間違えた場所に対して持っていたんだなあと、あらためて思った。

 そんな、「初めてだから、分からなかったこと」というのは、何度も起こっている。
 時々、困って、足掻くことになる。
 それは、単に、私の諦めが悪いからというだけではないと思う。
 ホンマに、途方に暮れることは、ある。
 先日、JAの窓口で順番待ちをしていた時に、見知らぬマダムが、同じようなことを、知り合いの方と話されていたのが耳に入って来て。
 一人、「あるある」と、心の中で、同意していた私がいた。

 で、一つクリアできるごとに、ああ、ちょっと賢く慣れたかもって思うけど。
 なにぶん、介護は、ケースバイケースなので、その経験値が生かされる日が来ることは、そうそうないと思う。
 うん。

 あ、話が逸れて行くのですが。
 もう、今日になろうとしている。
 父を、午後に迎えに行きます。

 私も、そうそう、献身的で健気な娘はできないけどさ。
 機嫌よく、顔を見に行けると思うんや、ちょくちょく。
 また、安全に食べられそうなおいしい物を、食べようね。


by glass-fish | 2017-07-25 00:01 | その他のタワゴト

「人工知能に取って代わられるで!」って、心の中で、つぶやく

 なんだか、世間では、またまた人工知能ブームが到来しているらしく。
 シンギュラリティとかいう話があるらしいですね。
 シンギュラリティ、技術的特異点、人工知能が人間を超える時。

 懐かしい。
 どの辺が?
 私が、会社員になったのは、約28年くらい前ですが。
 配属されたのが、人工知能(AI)をどうにかしようという部署でした。
 私で、4人目。
 機材は、当時、ワークステーションと呼ばれていたコンピューターが、1台。
 今となっては、家のパソコンの方がずっと賢いだろう。
 いや、スマホの方が、ずっと賢いやんな。
 無謀や。
 何をするねん!?
 っていう目的がなくて、AIを何とかしようというのだから、それは無理という物。

 その後、入社数年目に、必ず書かされるというレポートのようなものに。
 旅行のスケジュールを作るシステム。
 仮想的な建物の中に、仮想的なデパートがあって、買い物ができるシステム。
 街を歩くとき、地図を表示して、道案内してくれるシステム。
 とか、そういう話をレポートにしようとしたら、上司に止められた。
 その上司のさらに上の上司に、レポートが回って、合格をもらわないといけないのに、その人たちが、そんな荒唐無稽な話に合格点をくれると思うか?
 という訳で。
 無難に、リレーショナルデータベースの話だったか、つまんない話をレポートにした覚えがあるけど、どんな話だったか、もう覚えていない。

 が、私がぼんやり夢見ていた物は、ほぼ、実現しているよなあ。
 旅行のスケジュールのシステムには、時刻表のデータとかが入っていて・・・・・・って、ほぼ、乗り換え案内と近い感じ。
 お買い物ができるシステムは、今となっては、普通にある。
 道案内は、カーナビから始まって、今どきは、スマホでもやってくれる。

 そして、当時、人工知能で実現しようとしていた物は、かなり実現している。
 一つは、検索システムで。
 いろんな形のデータの持ち方のモデルがあって、そのデータの中から、関連するデータを探し出してくるというもので。
 一日一回は、何かを検索しているもんなあ、ネット上で。
 しかも、ネットワーク型のデータの持ち方で、これは、個人があちこちでアップするわけなので、データは、質さえ問わなければ、どんどん、増殖している。
 データ入力人員を雇って、紙ベースのデータを電子データに変換するしか、電子データを増やす手段がなかった頃と比べたら、スキャン技術も進んでいるしなあ。
 その膨大なデータの中から、キーワードに関係するデータを、検索エンジンが探してくる。
 検索する際には、一つのリンクを、どんどん深い所まで探しに行くのか?
 横並びのリンクの優先順位をどうつけるのか?
 なんて話があって。
 そういう話が、人工知能の括りの中に入っていた、当時は。

 私たちが、な~んにもできずに、部署名が変わったその後に。
 当時夢だったことが、実現してしまった。

 ただ、この検索エンジンなんですけどね。
 もうちょっと何とかならないものかなあと、良く思う。
 「とんぼ玉教室」を探しているのに。
 とんぼ玉を着けてピアノ教室に出かけたなんて言うブログが上がって来て、肝心の教室は、すぐ近くにあるのに、検索の頭の方にはかかって来ないなんてことがあって。
 それは、「とんぼ玉教室」の先生が、検索エンジンのセオリーのお勉強が足らず、検索にかかるようなアップの仕方をしないからいけないんや!
 と、怒られたりする。(^^;
 そう、先生が悪い。
 検索エンジン様が、気に入るようなデータを上げて差し上げないから、見向いていただけない。
 探す方も、探し方が悪い。
 検索エンジン様に、何だそうならそうとちゃんと言え!とツッコまれそうな探し方しかしないからいけない。
 そう、探す方も悪い。
 そこは認めましょう。
 ただ、検索エンジン様も、まあ、まだまだ、そこまでのものなんやな。

 私が、AIでは実現できないと思っている物がある。
 それは、「自分でも何故そう望んだのか、説明できないけれど、なぜかそれを望んだ」みたいな、人間の「モチベーション」に端を発して起こる、人間の思考の部分。
 考えても考えても、ケースバイケースで、最適な答えが変わる物。
 一応の答えを出しながらも、これで本当に良かったのだろうか?って、決めかねてしまう事柄。
 そういう物は、AIには向かないと思う。
 今言われているシンギュラリティは、問題の答がすでに分かっている事柄を、学ぶ速度を、AIと人間で競ったら、AIが勝つかもって話な訳で。

 介護の局面で、複数に枝分かれする選択肢の中から何かを選ぶとき、本当にこれで良かったのか、考え抜いても分からないことがある。
 だだ、ベストな答えでなくても、自分なりに答えを出さないといけないことがある。
 そうして、前へ進んで行ったときに、後から振り返って、見える物も多い。
 そういう体験を通じてしか、理解できないことも多い。
 ああ、私は、こういう時、こんな風に感じる人だったのか、と、あらためて自分を知ることになる。
 そういう私に、AIは、共感してくれるだろうか?
 いや、無理だ。
 だったら、人間は?
 似たような体験をした人であれば、自然と共感できたりする。
 そこは、誰に教えられたわけではなく。
 共通の感覚が、脳の中のどこかに備わっているんだ。
 ほらほら。
 そこですよ。
 どこどこ。
 ↑くどい!
 誰に教えられたわけではなく、自然と理解できる部分。
 私はこれを選んだし、こう感じていたけれど、状況が変わっていたら、あの人のような感じ方をしたかも知れない、と、自分が体験しなかった部分でも、誰に教えられることでもなく、あるあるって思えることもあったりして。
 そういう仕組みの部分がね。
 まったく、今のAIには、備わってないってことなんです。
 決断に至る、動機(モチベーション)の部分を、どこが生みだしているのか?
 その仕組みは、今のAIの中には、ない。

 この職人のこの仕事を、正確に再現してみなさい。
 こういうルールの勝負(たとえば将棋)で、人間相手に、勝利してみなさい。
 と、目的が明確な物なら、AIに学習させやすい。

 でも、AIとまではいかなくても、コンピューターにやってほしいことは、実はいろいろある。
 例えば、ケアマネさんが、利用者さんの予定の変更に応じて、配置するスタッフのシフトを調整する際に、シフト案を、数個作ってみる作業とか。
 AIに作らせておいて、その中から最適なものを、人間が選んだらいい。
 それで節約できた時間を、忙しいケアマネさんは、人と関わる部分の仕事に使う、とか。

 お料理の既存のメニューを組み合わせて、腎臓透析患者のための、リン分やカリウムまで含めた量の計算をしてくれたり。
 食品成分表データがあって、メニューの種類が100~200種類くらいあって。
 メニューに患者さんの鉱物に応じたランキングを付ける機能があって。
 お料理同士の組み合わせで、合う組み合わせの最適度をデータとして持っていて。
 トータルのお料理にかかる時間とか、材料費のおおよそのデータがあって。
 今冷蔵庫の中にある材料で、使おうと思っている物を入力できて。
 で、このくらいの量なら、食事制限内で収まるし、栄養価的にも良い感じ、みたいなメニュー候補を作ってくれるシステムとか。

 介護の補助を、機械でするときに、力の入れ加減の微妙なところを、AIでコントロールして、より快適に介護を受けてもらえるとか、そういうのは欲しい。

 今、あらためて流行っているAIというのは、昔のブームのAIと違って、微妙な力加減のコントロールなど、そういう学習をさせられるようになったってことじゃないのかなあと思う。
 今どき、画像認識技術とか、センサー技術とかが進んだので、それを利用して、数値化や文字データ化していないことでも、学習に使えるようになったんだろうなあと、勝手に想像してみたりする。

 あ、表情で、快不快を読み取って、介助者にダメ出ししようなんて話も、ありましたね。
 「ダメです。今の表現は、気に入らなかったようですよ。2フレーズ前の表現に立ち返って、もう一度、お話を聞いてみることをお勧めします。」
 とか、AIに言われたら・・・・・・
 腹立つわ~!と思ったりするんやろか?
 人間がダメだししたら、角が立つけど、AIがダメ出しする分には、公平は公平やもんね。
 ↑何を思い出しているのか?(^^;

 あ、切りが無くなったので、この辺で無理矢理終ろう。

 そう、この頃のマイブーム。
 心の中で、毒づく。
 「アンタ、AIに取って代わられるで!」
 人類のくせに、「安全第一!」とか、単純な割り切り方でしかものを考えられない単調な考え方の人に当たった時。
 それだけが、全てか?
 と、そんな問いが、むなしく、心の中で、空に消えて行くとき。

 いえいえ、そんな、毒づいてばかりはいませんよ。
 忙しいから。
 というだけでなくて。
 今のところ、ちゃんと、一緒に答の出ない答えを探そうとして下さっている人類が、周囲にたくさんいらっしゃる状況のため、もう、毒づく状況に目を向けなくても良くなったかも。
 って、まあね。
 この年にして、いろいろ、学ばせてもらっているし、ちょっとは、成長していたいなあと思う、この頃なんです・・・・・・けどね。
 どうかな?(^^;


by glass-fish | 2017-07-20 01:32 | その他のタワゴト

今さら、量子力学・・・・・・

 この頃、自宅裏の小屋の中で、細々と作品制作中です。
 奈良の阿字万字(あぜまめ)さんでの作品展は、作品の数は多くなくても良いので、何とかなりそうです。

 と、そんな介護と製作の合間に、量子力学の大雑把なところを、数式を用いないで説明しようという本を、読んでいます。
 量子力学というのは、高校で習う物理に関しても、量子力学の考え方で説明されたからこそ分かるというような内容が含まれていて。
 ああ、それって、既に量子力学の端っこに、触れているんだなあみたいなことになっています。
 そういえば、聞いたことあるけど、ハイゼンベルクの不確定性原理とか、シュレディンガー方程式とか。
 でも、何か、部分的にしか分かってない感じはあって。

 決め手は、この春ですね。
 「スピリチュアルが、量子力学で証明されたって、ホンマ?」
 と、古い友人に真顔で聞かれた。
 いやいや、そんな訳がない。
 で、どんな話になってるねん?
 ってことで、その元になる文章を探して読んでみて。
 いやいやいやいやいや、違うやろ!
 って、思ったけど、私自身が、量子力学の何かをちゃんと分かってないせいで、何が違うのか、明確に言えなかったことが、悔しかったんですね。

 ネット上に、それは量子論として、おかしいって話が出てこない感じがするのは、私みたいにちょっとだけ分かっているような分かってないような、みたいな、中途半端な人はともかくとして、分かっている人は、アホらしくて、説明する気にもならへんってことかなあと思う。

 「ハイゼンベルクの不確定性原理」というものがある。
 観測するという行為によって、観測される量子の状態に影響が出てしまう場合、観測には物理的な限界があることになる。
 量子の位置xと、運動量pの観測精度の間に、反比例の関係がある。
 量子の観測は、プランク定数より精密には測定できない。
 と、まあ、そんな風に説明されるのが、ハイゼンベルクの不確定性原理というもの。
 良く言われるのが、「電子がどこにあるか」知りたいと思っても、「ある時間にある場所に存在しているというのが、厳密には特定できない」なんていう話。
 この時の限界として出てくる、プランク定数hとは。
 h=6.62607004 × 10-34 m2 kg / s

 まあいえばですね。
 目に見えないサイズの電子が、どこにあるねん?って話をするときに。
 目に見えないサイズの物が、ちょろちょろ動き回る範囲のどこかにあることは分かっているんやけど、それが何とも、きっちりわからんねん。
 って話ですけど。
 そもそも、老眼鏡をかけて特定できる範囲よりは、はるかに小さい世界な訳で。
 それだけわかってりゃ十分ですよ、日常生活に置いては、くらいの話なんです。

 この話をするときに、「月は観測するまで存在しない」なんて、例え話が良く出ますけど。
 これは、有名な物理学者が、例え話として持ち出したので、有名なまま良く使われますけどね。

 月は、多くの材料からできていて。
 その材料を、それぞれミクロのレベルまで小さく厳密に分解してみた時、そのレベルでは、ある時間にどこにあるのか?っていう位置が、プランク定数の桁くらいの誤差を持っていて、厳密には言えないって話なんですけどね。
 月のサイズを考えてみて。
 平均の直径が、3,474.3 kmなんだそうです。
 ミクロのレベルで、それの構成要素の一つ一つについて、存在する位置に、10-34m2レベルの誤差があったとして。
 そのくらい誤差があるので、月に位置は、厳密に言えないんですよ。
 って言っているって話やんな。
 これって、考え方として、間違ってないやんな。
 でもま、そのくらいの誤差やったら、誤差含みで見上げても、大体は、思った方向に見えているっていう話です。

 人間もそう。
 ほら、ハイゼンベルクの不確定性原理によって、「人間もまた、ミクロレベルでは、その構成要素の位置が厳密には観測によって出せないから、どこにいる?と聞かれても、厳密にはここと言えないねん」って、言えなくもないけど。
 どのくらいの誤差やのん?
 って聞くと。
 既に、そのレベルの誤差を超える距離を、鼻息一つの作用反作用で、動いてるで。
 って話になる。
 私は、観測するまで、その位置を確定できないねん。
 って言われても。
 大丈夫、そんなおばかさん、その誤差含みのまま、目をつぶって叩いても、ちゃんと命中するから。
 そういう話だということだ。

 電子の位置を確定できない話でもさ。
 電子の位置は、大体この範囲のどこかにあるっていう、「確率の雲」のような範囲のどこかにあるっていうことまでは分かっている。
 そこを超えて、はるかに遠くにはいない。
 観測するまでは確定しない、だから、人間もまた、自分で決めない限りは、何者であるかも確定はしないのだ!
 とか、書かれているのに対して、量子論的に言えば。
 まあ、それでも、この範囲のどこかというのは、分かっている訳で。
 人間に例えるなら、「私が、会社員としてどのくらいお給料をもらえた可能性があったか?」というところは、「場合によっては、もうちょっと多かったかもしれない」という可能性はあったとしても。
 大丈夫、島が買えるほどの大富豪みたいには、稼げてないからさ。
 実は、お父さんが実の父じゃなくて、ほんとは、大富豪の娘で、実の父が探してくれていたの。
 なんて話は、まあないってことですよ。

 限られた可能性の雲のどこかにいる。
 ただな。
 努力によって、月に一万円、お給料が増えたら、それは、価値がある努力だと思う。
 それを幸せと感じられる、自分頑張った、人生捨てたもんじゃないと、小さな幸せを喜べる感性こそが、人を幸せにすると思うんやけど。
 「人は何にでもなれる、それは、量子力学が証明している」なんて、どこのパラレルワールドの量子力学やねん!?
 って、思った。

 奇跡を待つ間があったら、目の前のことをコツコツとやる方が、よっぽど正しい。
 それって、量子力学とは、何の関係もないけど。(^^;

 あらためて、量子論の本を読んでいて。
 「銀のコロイド発色がなぜ青い?」という、局所的表面プラズモン共鳴の話や、「銅イオン発色はなぜ水色か?」という、結晶場理論の話は、この量子力学の発展した先にある話だったらしいことはちょっと分かった。
 やっぱり、宇宙は、美しいんじゃないのかなあと、思ったんです。


by glass-fish | 2017-07-19 03:29 | その他のタワゴト

生徒さん、激減!なので、減ったついでに・・・・・・

 小野教室の生徒さんが、激減しています。

 が、まあ、三宮教室の方は、一時のことを思えば、まあまあ来てくださっている。
 一時は、いよいよまずいかもと思っていた加古川教室でしたが、ここが前と比べて増えているんですねえ。

 ところが、小野教室は、かつてないくらいの生徒さんの激減っぷり。
 ふく蔵さんの時も、ドタバタでさ、教室案内が前半で切れてしまってはいましたよ。
 しかも、ブログのアップも止まっていて、作家としての発信も、教室としての発信も、何もなく。
 ホンマに介護に専念で、介護離職か?くらいの空気感を出していたかも知れない。
 そもそも、一緒に仕事をしていた弟が、一年前にやめて転職してるしね。
 ホンマにどうなん?
 お教室、継続しているのん?
 って、見えていることは、うすうす気づいていた。

 まあ、しょうがないかなあ。
 弟と一緒にやっていた時は、けっこう追われていた気がする。
 こう言っては、何なんですけど。
 一人になったら、おとなしく暮らしさえすれば、親の持ち家に居座っているため、追われながら、売り上げアップを目指さなくても、しばらくなら、持ちこたえられる。
 まあ、それも、あくまでもしばらくのことで。
 いつまでもは無理。(^^;
 とはいえ。
 追われて作らなくてもいいというのは、それはそれで、良いのかも知れない。
 特に、この頃は、何か小難しい部分を必ず含んでいなくてはいけない、みたいな強迫観念みたいなものから、すっかり自由になって。
 まあ、簡単にできる物でもさ、美しければいいんだよね。
 小難しい部分が蛇足になってしまうなら、別に、要らないよねえ。
 そんなことを、思ったりする。
 そして、まじめに問いかける。
 どこを、美しいと思ったんだろう?私。
 と、ある意味、自分の気持ちに正直になって、物を見ているこの頃だったりするのさ。

 あ、脱線しました。

 で、教室なんですが。
 日曜午後クラスを、クローズしました。
 で、日曜午後の時間を、「上級者用デモ枠」にしました。

 上級者用のデモは、けっこう、時間がかかる物が多い。
 昔はさ。
 自分の席で、近眼メガネをかけて、上級者のデモをしながら、端っこの生徒さんの作業を横目でちらちら見ながら、大きな声で、「冷めてますよ」とか、叫んでいた物さ。
 ところが最近、手元にピントが合うように、裸眼でデモをしていると、他の生徒さんの作業が見えないんです。
 遠近とか、中近とか、作ってはみたけどさ。
 何だか、いまいちなんですよね。
 それに、昔は、上級者課題を、足並みそろえて一緒にできるなんていうクラスもあって。
 もっと、上級者用の時間のかかるデモをやっていた。
 ところが、最近は、どうにも難しい。
 上級者用の課題をしたい人が、いろんなクラスに分散して、足並みがそろわない。

 そんなこんなで。
 上級者課題を、何となく避けて通っているようなこの頃だったんです。
 ダメやん。
 きっと、不完全燃焼気味に思われる方もいらっしゃったと思う。
 足並みそろえて、上級者課題をやっているという感じを、実際にご覧になっていない方にとっては、足並みそろえてないと、上級者課題って、通常の他の課題と一緒にはなかなか難しいんだなみたいなところも、感覚的に伝わってない気がして。
 時々、上級者クラスを作ろうかとも思ったことがあった。
 でも、希望の時間がいろいろだし、振替できる便利さを優先すれば、それも難しい。
 そんな。
 そろそろ何とかしたい。
 と思い続けていた、今日この頃。

 そうだ!
 今がチャンス!

 って、生徒さんが減ってしまわれたというマイナスを逆手にとってしまおう!
 と、考えたのです。

 ま、考えているように、運用がうまく行くかは、謎です。
 そもそも、生徒さん全体が少ないってことは、上級者デモが必要な方も少ないってことで。
 今、その枠要るの?
 って話も、あったりなかったり。
 とりあえず、やってみることにしました。
 で、わざわざ枠を作ったら、それが刺激になって、しばらく上級者課題やってないなあという人たちも、乗って来ないかなあと思ったりするこの頃なのでした。

 なので、今、日曜がぎゅうぎゅうしてますが。
 土曜と月曜、生徒様、大募集です!
 あ、日曜午前にも、月の後半だけの、月一回コースの方を、お一人募集中。
 月一回コースでも、日曜午前の前半に空席がある日があったら、そこへ振替もできますし、他の曜日でも、振り替えていただけます。
 こちらの月一回コースの方も、空きのある時間に、月に2回目の追加を、通常の教室の料金とおなじ3000円で、追加していただいても大丈夫です。

 そうそう。
 日曜午後の、上級者用デモ枠も、上級者用デモの希望が入っていない時ならば、通常の教室へ振り替えるのと同じ感覚で、振り替えていただけます。
 ぎゅうぎゅうと、大人数もにぎやかで楽しいけど、最近どうにも、分散してゆっくりやるのが楽でいいゾと思う私だったりして。

 という訳で。
 上級者のみなさま、上級者用課題のご希望、お待ちしております!


by glass-fish | 2017-07-10 00:01 | とんぼ玉教室

再び、銀コロイド発色

 またまた、本題の前に。

 4日前の、ランちゃん。
 「キノさんたちと、あたち」
 お!韻を踏んでしまった。(^^;

a0163516_22354086.jpg

 アカダマキヌガサタケが上下に並んで出てました。
 でも、雨に打たれて、茶色いクレバがかなり流れてしまったので、上半分が白くなってます。
 ちなみに、下側のアカダマキヌガサタケが、先日の「きのさんとあたち」の、きのさんです。

 そうそう。
 あんまり、アップが少ないのも、いかがなものかと思って、久しぶりにブログを書いてみて。
 ふと、右側のランキングを見て、一番下の「そうだったのか……」というタイトルが気になって、久しぶりに読みに行きました。
 あ、銀コロイドの話。
 読んでいると。
 ふと、ヒヤッとしてしまった。
 何か、あれからいろいろ調べてみるとね。
 どうも、あの時の記事は、正確さに欠けていた。
 というか、間違いを含んでいるだろう、多分・・・・・

 銀による青白い発色が、銀コロイドによるものというのは、本当。
 銀コロイドの粒子が、金属状態の銀であるということも本当。

 一方で、銅赤の銅コロイド発色は、酸化第一銅の結晶の粒々による物。
 酸化第一銅による発色は、酸化第一銅の結晶の色。

 さて。
 問題の、金属銀の粒々による、銀コロイドの美しいブルーは、なぜブルーなの?って話で。
 苦し紛れにいろいろ調べていると、突き当たったのが、「表面ブラズモン共鳴」という単語。
 銀コロイドが、ブルーに見えるのは、「局所的表面プラズモン共鳴(LSPR)」という現象によるのだそうだ。

 それを調べていたのは、ふく蔵さんが終わった直後。
 あのときは、ちんぷんかんぷんなりに、もうちょっと何か核心に迫ろうとしてたのに。
 今となっては、その時調べたのが何だったのか、さっぱり覚えていない。(^^;

 というのもまずいので、もう一回、調べに行きました。
 60ナノメートルの銀の粒子に、白色光を当てると、波長450ナノメートルの青い波長の散乱が見られる。
 のだそうだ。
 この粒子の直径を変えることで、散乱を、400(紫)~530(緑)ナノメートルに調整できるのだそうだ。

 前のブログを書いたときは、銀の粒子の直径と同じ波長の光が銀の粒子に吸収されるんだと思っていた。
 で、吸収されなかった色が見えると、思っていた。
 違った。
 青い光の波長は、銀の粒子の直径の7.5倍で、波長の方がはるかに大きい。

 「銀ナノ粒子は、粒子の大きさや形状に応じて、色を持ちます。光と銀ナノ粒子との強い関係は、特定の波長の光に励起された際に金属表面の伝導電子が集団的な振動を起こすためです。」
 って、何が起こってるん?

 何が起こっているかはともかくとして。
 銀ナノ粒子の挙動として調べられたグラフが出ていまして。
 10nm~40nmのサイズでは、波長400nm付近(青紫)の散乱が。
 60nmのサイズでは、波長450nm(青)の散乱が。
 100nmのサイズでは、波長540nm(緑)の散乱が起こるようだ。

 そして、複数のナノ粒子が凝集してくると、その表面で起こる表面プラズモン共鳴は個々のナノ粒子の共鳴よりも、より長波長側にレッドシフトすると、書かれている。
 レッドシフトって、カッコイイですよね。
 凝集してくると、緑よりも、もっと黄色く見えてくるということですね。

 という訳で、銀コロイドによって、紫~青~緑~黄土色の色の変化が起こる時の、銀コロイドの状態がどんな状態なのかは、分かりましたね。
 まあ、そういうことで、一応「スッキリ」ということにしておきましょう。


 銀による発色の玉に出る、光学的現象は、複数あると思います。
 金属銀のメタリックな色。
 金属銀のナノ粒子のコロイドによる発色。
 金属銀の発色の縁の部分に出る虹色。

 虹色が出るのは、薄膜の干渉による発色だと思っていた。
 今となっては、絶対と言い切れないのだけれど。
 比較的厚みがしっかりしているメタリック光沢の縁の部分に出て、虹色のグラデーションが見えるので、やはり、薄膜の干渉という現象が起きているのだと思う。
 もしくは、CDの溝に虹が見える、回折という現象。
 薄膜の干渉か回折という現象が起きているとすれば、薄膜の厚みが、青紫~青~緑~黄~橙~赤の可視光線の波長と、オーダー(桁)が同じくらいだということになる。
 紫の一番波長が短いところで、380nm。
 赤の一番波長が長いところで、750nm。
 銀ナノ粒子のコロイドの発色の時の粒々のサイズよりも、5~75倍分厚い世界で起こっていることになる。

 そんなこんなで。
 銀を使った発色の作品では、いろいろな部分の発色がどうやって起こっているのか類推する。
 それを起こすためには、どうコントロールすれば良いのか?
 それを、現象から類推する。
 そうすると、何となく、再現性が高くなって来る。
 再現性が高くなってくると、しめしめ。
 本当にそういう、類推に類推を重ねた物が、正しいかは別として。
 しめしめ。
 それは、ナイショ。
 教室の生徒さんには、もちろん、お話はしますが。
 「今の、良く分かりません」という反応が返って来ることも多いけどね。
 ここから先、知りたければ、ぜひ、お教室へ。
 今、生徒さんが減っていて、ガラガラなので、いつでも大歓迎です。(笑)
 でもって、どうしても、その時のマイブームの課題が多いので、ウチの教室は、今、銀箔課題三昧です。ほんまに。



 以下、余談なので、面倒な人はスルーしてね。

 そういえば、60ナノメートルの銀ナノ粒子って、60ナノメートルの間に、何個くらい銀原子が並んでいるんだろう?
 と、そんなアホな疑問が湧いて来た。
 金属銀は、面心立方格子構造で、格子定数が、4.0862オングストローム。
 面心立方格子の格子定数って、どのサイズ?
 ってことで、調べてみて。
 4.0862オングストローム=0.40862ナノメートル。
 並んでいる銀粒子の中心から中心までの距離は。
 0.40862×√2÷2≒0.28893ナノメートル
 ということは。
 60÷0.28893=207.657
 という訳で、計算がまちがってなかったら。
 銀粒子が、一番長いところで、207個くらいつながっている感じ?
 ホンマかな?

 直径60ナノメートルの球体の体積は。
 (4/3)×3.14×30×30×30=113040 立方ナノメートル
 格子定数が、0.40862ナノメートルの面心立方構造なので。
 一辺が0.40862ナノメートルの立方体の中に、銀原子が4個ある状態らしい。
 この立方体の体積は、0.40862の3乗なので、
 0.068227・・・・・・立方ナノメートル
 60ナノメートルの球体の体積の中に、この立方体が何個入るかというと。
 113040÷0.068227=1656822個
 この立方体の中に、銀原子が4個入っているので。
 1656822×4=6627288.3・・・・
 直径60ナノメートルの金属銀の球体の中には、660万個くらいの銀の原子が入っている。

 みたいな。
 計算合ってるかな?
 そういう粒子が、ガラスの中にたくさん浮かんでいると、波長が450ナノメートルの、青い色の光を散乱させる。


 余談でした。


 表面プラズモン共鳴(Surface Plasmon Resonance)
 実際には、どういう現象が起こっているのか?
 それが分からなくても、とんぼ玉の発色は起こる。
 でもでも、気になるんです。

 いろんなところの表面プラズモン共鳴の話を読んでいて。
 ちょっとだけ分かった気がする。
 銀の粒子の表面に、白色光が当たる。
 表面の伝導電子が励起される。
 伝導電子の励起って、どういうこと?
 ヘリウム、ネオン、キセノンなどの、原子単体でガスになっている物の励起の話は、学生の頃に聞いた。
 原子表面にある軌道電子が、一つエネルギーの高い軌道に引き上げられるという状態。
 でも、金属銀の塊の表面って、電子はどうなってるのん?
 それが励起されるって、どういうこと?
 まあ、本来いる場所からすると、エネルギーの高い状態の時にいる場所に引き上げられるということ?
ということは、表面の伝導電子に、光のエネルギーが受け渡される。
 それによって、電子が集団的に振動するらしい。
 どういう状態を、振動って呼ぶのか?
 特定波長の一つの光が、一つの電子を励起する。
 励起された電子は、入ってきた光と同じエネルギーを、そのまま放出して、エネルギーの低い、元の安定な状態に戻る。
 すると、その時放出された光が、隣の電子を励起する。
 それがまた光を放出して、元の状態に戻り、光がそのまた隣の電子を励起する。
 そういう状態が、金属銀のナノ粒子の表面を伝わって行くということか?
 そう考えると、何となく、納得がいく。
 だからこそ、ナノ粒子の表面で起こる、局所的表面プラズモン共鳴は、速やかに減衰するのか。
 表面が小さいからね。
 隣の原子に、光が当たると思いきや、ふと、向きが変わると、外へ出て行ってしまうっていうことだから。
 それが、散乱されるっていうことなのかな?
 そういうことなら、入って来た光と、放出されたときの光の向きが変わっているもんね。
 だったら、なぜ、銀の粒子の表面の形状や大きさで、散乱される波長が違うのか?
 「共鳴条件は、光量子(フォトン)の周波数が、正電荷の原子核の復元力に対して周期的に振動する表面電子の自然周波数と一致するときに達成される」
 と書かれていますが。
 表面電子の自然周波数って、何?
 正電荷の原子核の復元力って、何?
 やっぱり、良く分からん。(^^;

 気になる。
 でも、それが分からなくても、とんぼ玉の発色は、コントロールできるのだ!
 多分。(^^;


by glass-fish | 2017-07-09 03:55 | ガラスのウンチク

暴走中・・・・・・って、どこへ向かって?

 本題の前に。

 今日のランちゃん。
 またまた、子育てブームが来て、仮想赤ちゃん(黄色いボール)を、かいがいしく世話してましてね。
 いつにも増して、狂暴です。
 家族以外の、あらゆる人に、えらい剣幕で吠えまくる。
 やめて~、私のしつけが悪いみたいやん。
 ↑あ、しつけって、流れでそれなりにしかやってないかも・・・・・・(^^;

 で、エアコン工事に来てもらった父の元同僚で、めっちゃお世話になった人に迷惑にならないように、庭のはしっこに繋いだ。
 そしたら、木陰で、良い感じに植木鉢と植物の隙間になったところを見つけて、少し穴を掘って、巣にしてました。
 もちろん、仮想赤ちゃんを抱いてます。
 うふっ、サイコー!
 みたいな。
a0163516_22554613.jpg
 そして、夜のランちゃん。
 仮想子育て中のため、赤ちゃん(黄色いボール)を置いたままでは、散歩に行きたくないらしい。
 不本意ながら、ご主人様(私)に引きずられて行く。
 そして、不本意ながら、無理無理、写真を撮られる。
 タイトル「キノさんと、あたち」。
a0163516_22555274.jpg
 さて。
 やり過ぎ注意と書きつつも。
 依然、暴走中。

 転院先で、父がすごすこと、3週間。
 母が退院して、1か月と4日。
 母を退院させたのも、なかなか無謀だったと言えるかもしれない。
 手がかかります。
 それなのに。
 やっぱり、父を、母と同じ介護施設に移そうと、画策中。
 というか。
 今の転院先の担当のお医者様からのOKが出さえすれば、準備ができれば、現実のものとなります。
 それはそれで、無謀極まりない?
 要介護5、寝たきり。
 最初の内は、介護施設に全日お泊りの状態(ロングショートというらしい)にして。
 一定期間が経つと、在宅メインで、お泊りを挟みつつ、回していく。
 行くのか?

 何ですかねえ。
 ふと思ったんです。
 どうも、性分らしい。
 無謀でしょ?ってことでも、やってみて、無謀であることを体験から実感しないと、ダメらしい。
 そうそう。
 そもそも、リスクが嫌なら、会社員辞めて、とんぼ玉作家なんかにはなったりしない。(^^;
 ↑そこか
 今みたいに、景況感が悪い時代が来るのが分かっていたら、会社、辞めてなかったかも。
 なんて言いつつ。
 でも、仮に戻してあげると神様が言っても、もう会社員には戻れない。
 って、思うしなあ。

 母の介護のため、作業場を、自宅の裏の倉庫に作りました。
 製作を、8~9割がた、ここでします。 
a0163516_22560000.jpg

 加工などと、教室は、元の工房でやります。
 母が一日いない日に、時々は、気分転換で、元の工房で製作しようと思います。

 南と北の窓に、ブラインドをつけ、網戸をつけ。
 裏の藪から蚊が入らないように、大きな隙間を木で塞ぎ、その隙間をシリコンコーキングで埋め。
 プロパンガスの配管工事をしてもらい。
 ボロボロの小屋に、けっこう、つぎ込んでしまった。(^^;

 裏側の窓は、一見、リゾート感あります。
a0163516_22560604.jpg
 今の工房に移す前、まだ、教室をしてなかった頃、ここで5年ほど、製作してました。
 そのずっと前は、父のそろばん製造の作業場の一部でした。
 そういえば、父が使っていた時の名残の物が、随所にありましてね。
 あらためて気づいて、一人、受けていたのが、これ。
a0163516_22561287.jpg
 めっちゃアナログ。
 でも、ちゃんと、温度は測れてますよ。
 「火の用心」
 いや全く。
 
 と、そんな作業場に、今日、エアコンが付きました。
 付けてくださったのが、父の同僚だった人で、電気工事の仕事が確かな人なので、安心です。
 その上、他から外してきた換気扇と枠とフードが、たまたまここに置かれていたので、それも、片流れ屋根の、一番高い側に付けてもらいました。
 さらにさらに、蛍光灯を、作業台の真上に移してもらいました。
 めっちゃ明るい!
 昨今、そこ重要やねん。(^^;
 嬉しいです。

 で、今日、ここで少しだけ作業を始めた訳なのですが。
 予想通り、埃がひどい。
 何とかしないと、ガラスに汚れや曇りが入りまくる。
 昔は、そこまで繊細なところを意識して作ってなかったんやなあ。
 とりあえず、ジェネレーターの足元に、ゴムのクッションでも敷こうと思います。
 振動で、床から埃を舞い上げているかもしれないので。

 そんなこんなで。
 介護モードのスタンバイは、できましたよ。
 ランちゃんにしてみれば、ご主人様が、かなり家にいる頻度が高いことを、不思議に思っていることでしょう。

 そうそう。
 そんなことを言いつつ。
 教室関係で、ちょっと、小ネタを計画中。
 元の工房は、教室も含めて、ある意味、私の貴重な気分転換の場所になることでしょう。

 ま、でも、しばらくは、埃と闘いつつ、作品を仕上げねば。


by glass-fish | 2017-07-04 23:40 | 日常